2010年09月20日

敬老の日には

待っている母に会いに行くことが毎年恒例だったが今年は違う
なぜなら
会いに行く母は もう居ないから

晩年の母には <会いに行ってやらねば>的な気持ちになっていた処が少なからずあったが 実際に居なくなったとき私は思い知った
私は会いたくて甘えたくて母に会いに行っていたのだ 亡くなる4日前が最後に会えた日になったがその日もいつもと変わらず話し 珍しく旦那さん(私の父)の事を思い出ししゃべった 今思えばお迎えが近いという事だったのかと今更ながらにして思う

*亡くなった*と知らされてから無力感と言うか脱力感に陥った
私の気持ちの中にこんなにも大きな存在だったか と

最期の時まで認知症になることも無く 会いに行った私の帰り道を心配し 早く帰れ と促した母 日記を毎日書き 国会中継が面白いと見ていた母 優しい嫁さんにお世話をしてもらえた母 50歳過ぎに突然に夫を事故で亡くした母 それから40年余一人で私達子供8人を育ててくれた母 2人の子供に先立たれ辛い思いを何度も味わった母 70歳を間近にした頃からやっと自分の時間がもてるようになり老人クラブのゲートボールの選手になって大会に出て表彰されたり 地区の運動会のリレーの選手になってメダルをもらったり と何をやってもソツなくこなし 話をすれば「なるほど」ということを言い 尊敬できる凄い人だった 足元にも及ばぬ末娘の私を残して旅立つ事が唯一心残りだったろうか 今は確かめる事もできない  
 
 



Posted by まーちゃんのいもうと at 17:02│Comments(0)
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